いつか来る「銀行を辞める日」と「その後」~元北國銀行・南秀明氏のケース①

 大半の銀行員は50代で役職定年を迎える。だが、その後の「第二の人生」については、「人それぞれ」として片づけられ、あまり知られていない。銀行を辞めたからこそ去来する思いや人生観、そして「銀行員時代に身に着けておけばよかったスキル」などの教訓は、現役銀行員にとっては共有されることのない「暗黙知」である。銀行員時代に知り合った先輩、同僚という狭い人間関係でしか知ることができないからだ。本コラムでは、元銀行員の足跡を追い、現在の仕事を取材することで、「『銀行員人生』と必ずやってくる『その後』をどう生きるのか」というテーマに迫る。

いつか来る「銀行を辞める日」と「その後」~元北國銀行・南秀明氏のケース①

 大半の銀行員は50代で役職定年を迎える。だが、その後の「第二の人生」については、「人それぞれ」として片づけられ、あまり知られていない。銀行を辞めたからこそ去来する思いや人生観、そして「銀行員時代に身に着けておけばよかったスキル」などの教訓は、現役銀行員にとっては共有されることのない「暗黙知」である。銀行員時代に知り合った先輩、同僚という狭い人間関係でしか知ることができないからだ。本コラムでは、元銀行員の足跡を追い、現在の仕事を取材することで、「『銀行員人生』と必ずやってくる『その後』をどう生きるのか」というテーマに迫る。

▽他人事ではない「その日」

 現役銀行員は、銀行を辞めて地元の中小企業に転職した者、あるいは独立したOBにどれだけ広く、深く掘り下げて話を聞けているだろうか。特に親しい間柄でもなく、「見知った関係」に過ぎなければ、わざわざ連絡を取り、「その後どうですか?」と近況を聞くことは、どこか不自然で気後れする。ただ、役職定年は一般的な銀行員であれば、誰しも必ずやってくる「その日」である。決して他人事ではない。

 今回、筆者は2024年に北國銀行から出向し、主に建機大手コマツ関連の金属加工・製造を手掛ける東和(石川県能美市)に転職(2025年6月)した南秀明氏を取材する機会を得た。

 南氏は現在(2025年取材時)、東和で取締役執行役員・経営戦略室長を務めている。作業服に身を包み、ノートPCを抱えて現れた南氏は気さくに取材に応じた。

 「結論から言うと、北國銀行に勤めてよかったです」と、南氏は切り出した。

 南氏が入行したのは1994年。バブル崩壊後、不良債権処理が本格化する「冬の時代」であった。その後もリーマン・ショック、地元企業の連鎖倒産、東日本大震災など、「常にマクロ経済の荒波に翻弄される銀行員人生だった」(南氏)と、30年間の銀行員人生を振り返る。

▽相手の懐に入る

 金沢大学を出て、地元志向の南氏は勤務先として北國銀行を選んだ。入行してから10年間は、徹底的に現場営業の基礎を叩き込まれた。

「とにかく定期預金を獲得するのが仕事でした。月1億~1.5億円のノルマがありましたから」

 どうしたら営業がうまくできるのか。考え続けて、現場で学んだのは「相手の懐に入る力」だった。理屈だけでは人は動かない。空気を読み、先を読んで、どう動くかを実践した。支店長代理となって、部下を育成しながら人事評価、決裁することにやりがいを感じた。

▽中間管理職に問われる「翻訳能力」

 35歳で配属された審査部では、背負うミッションが現場とは打って変わった。「銀行のストック資産を健全に維持すること。そして、融資判断ができる優秀な人材を育成することだ」と、当時の部長から指示されたことを今も鮮明に記憶している。理念は腹落ちしたが、日々やっていた業務はまるで違っていた。

 「金融検査マニュアル」が絶対的な規範となり、「不良債権の未然防止」が大義名分であった時代だ。現場から上がってくる膨大な稟議書や自己査定のチェック、資金繰りの精査、追加書類の要求といった「入口審査の厳格化」に終始せざるをえなかった。「現場から見れば、我々の仕事は単なる『あら探し』に見えていたでしょう。ミッションと日々の業務との食い違いに、『これでいいのか』と自問自答する毎日でした」と南氏。

 貫いたのは「顧客に理路整然と説明できるか」という一点だった。なぜ、担保が必要か、なぜこの金利なのか。最終的に顧客へ説明するのは現場の担当者である。現場の担当者たちが納得し、自分の言葉で話せるようにと、審査部と現場の間で喧々諤々の議論を尽くした。この経験は、「組織の目的」と「現場の腹落ち」をどう結び付けるのかが問われる中間管理職としての「翻訳能力」を磨くこととなった。のちにこの「翻訳能力」は南氏の身を助けることになる。

▽脱二流営業

 40代前半で融資統括課に配属された時に、出会ったのが杖村修司専務(当時、現CCIグループ社長)だった。「『このままじゃいけない』という強烈な問題意識を持たれている人だ、と感じた」。

 最も記憶に残っているのは、杖村氏からの質問だった。「融資残高が3月末と9月末にギュンと伸びて、4月、10月にドスンと落ちるけど、なぜこうなるの?」―。

 (何を当たり前のこと聞くんだ?)―。南氏はポカンとした。「期末だからですよ。みんなで借入のお願いにまわっているからです」と答えた。

 しかし、杖村氏は納得しない。「そんなことをしてお客さんは喜ぶの?」「そんな営業って、長続きするの?」と質問を重ねた。

 南氏は自分の中の「銀行の常識」「銀行の当たり前」が根底から揺らぐのを感じた。杖村氏から藤本篤志氏の著書「脱二流営業」を読むように薦められた。これが「顧客視点」を自分事として考えるきっかけとなった。一流の営業とは何かを考えるようになった。

 45歳で支店長に就いた頃には、行内の改革は本格化していた。単なる貸出のボリューム追求ではなく、債務者区分の格付けさえ顧客にフィードバックして、改善点を共有して伴走する。上っ面の手数料サービスではない、顧客起点に真なる生産性向上を目指す、その後の「北国流コンサルティング営業の走り」(南氏)だった。

 南氏が現場経験で培ってきた「相手の懐に入る営業」も存分に発揮できた。「お客さまのタイプをみながら、雑談も交えて人間関係を築き、本題に入る。時間はかかりましたが、やりがいは格段に増しました」と、根っからの「現場好き」の血も騒いだ。

▽「銀行風」を吹かせるな

 いつしか年齢は50歳に迫っていた。本部と現場を行き来した南氏に任された役職は、オペレーションセンター長だった。スタッフ約360人(着任時。この後、減少)。10人程度の営業店のマネジメントとはまったく違う世界だ。本部で営業店の事務集約を取りまとめる改革に取り組んだ。

 オペレーションセンター長として数年が経ち、50歳を過ぎた頃、「このポストが銀行員時代の最後なんだろうな」と、ぼんやりと考えるようになっていた。先輩たちも50歳を過ぎて、役職定年、中小企業出向を迎えていたからだ。そう遠くない将来、自分にも「その日」が来るのだろう。

 OBとのゴルフや飲み会で、「その後」について尋ねたこともある。OBたちからは同じ答えが返ってきた。「『銀行ではこうだった』というのは禁句だぞ」「『銀行風』を吹かせると、間違いなく煙たがられる」という忠告だった。

 大手企業の人材が中小企業に移ってもうまくいかない最大の理由は、「脳内リセット」が行われていないことだ。年収だけではない。「中小企業で働く人材、資金も時間も限られたリソース、『目の前の現実』をあるがままに受け入れ、馴染んでいくしかないんですよ」。含蓄ある南氏の言葉だ。

 センター長として丸5年になろうとしていた2023年12月、同期の人事部長からチャットが入った。「次の人事のことで話がある」―。

 南氏は多くのスタッフを抱える責任者で、スタッフの人事に関する相談は頻繁にある。この時もそういう認識で人事部を訪れた。しかし、通された別室で座っていたのは、人材開発部の担当者だった。「あ、そういうことか」と、瞬間、すべてを悟った。

 提示されたのは、東和への転籍。選択肢は一択だった。「南さんのお考えは?」と問われたが、心は決まっていた。「行けと言われれば行きます」と。

 それでも、「まずは家族と相談して」という形となった。家に持ち帰ると「あなたが決めればいい」と妻の一言。銀行員の妻として、「その日」が来ることは分かっていた。妻の一言が背中を押してくれた。こうして南氏の銀行員生活は幕を下ろした。

著者について

編集長:橋本卓典

1975年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2006年共同通信社入社。経済部記者として流通、証券、大手銀行、金融庁を担当。2009年から2年間、広島支局にも勤務。2020年編集委員。2025年8月から経済ジャーナリストとして独立。2016年5月に「捨てられる銀行」(講談社現代新書)を上梓、累計35万部のベストセラーになる。NIKKEI FINANCIALにも寄稿。ラジオNIKKEI「記事にできない金融ウラ話~橋本卓典が語ります」でパーソナリティも務める。

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1975年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2006年共同通信社入社。経済部記者として流通、証券、大手銀行、金融庁を担当。2009年から2年間、広島支局にも勤務。2020年編集委員。2025年8月から経済ジャーナリストとして独立。2016年5月に「捨てられる銀行」(講談社現代新書)を上梓、累計35万部のベストセラーになる。NIKKEI FINANCIALにも寄稿。ラジオNIKKEI「記事にできない金融ウラ話~橋本卓典が語ります」でパーソナリティも務める。

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