◎「地域金融力」はなぜ強化されてこなかったのか ②
前回コラム①では、金融庁が「不良債権処理官庁」として誕生した出自のため、地域金融行政について、人的配置・政策も含めて十分なリソースが割かれてこなかったことを述べた。加えて、2014年に森信親氏(当時監督局長、15年に長官)が打ち出した「事業性評価」という人口減少時代を見据えた政策でさえ、不良債権処理を目的として考案されたリレーションシップ・バンキングと同列視され、結果、森金融庁が狙った顧客企業と金融機関双方の利益に資する「共通価値の創造」には必ずしもつながらなかった歴史的経緯を述べた。今回は、別の角度から「『地域金融力』はなぜ強化されてこなかったのか」を考えたい。
- 2025年9月26日
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◎「地域金融力」はなぜ強化されてこなかったのか ②
前回コラム①では、金融庁が「不良債権処理官庁」として誕生した出自のため、地域金融行政について、人的配置・政策も含めて十分なリソースが割かれてこなかったことを述べた。加えて、2014年に森信親氏(当時監督局長、15年に長官)が打ち出した「事業性評価」という人口減少時代を見据えた政策でさえ、不良債権処理を目的として考案されたリレーションシップ・バンキングと同列視され、結果、森金融庁が狙った顧客企業と金融機関双方の利益に資する「共通価値の創造」には必ずしもつながらなかった歴史的経緯を述べた。今回は、別の角度から「『地域金融力』はなぜ強化されてこなかったのか」を考えたい。
▽なぜ銀行の数が多すぎる、のか
地域金融機関が地域金融力を発揮できなかった一つの理由に、地域金融機関における人材、知見・スキル、投資予算を含めたトータルとしての「経営体力」の不足がある、と金融庁は考えてきた。
実際、取材で「なぜ、地方銀行の再編を進めるのか」と、金融庁幹部に問うと、「まずは地域金融機関の経営に余裕がなくては中小企業支援もできない。再編はその経営余力を生み出すためのものでもある」という答えが返ってきた。
つまり、「地域金融機関に地域金融力を十分発揮させるためには、多すぎる地域金融機関を減らさなければならない」という基本思想が金融庁には伝統的にあるのだ。
個人的には、「数を減らし、広域をカバーする地域金融機関が残れば、本当に地域ごとの課題を丁寧に解決する存在に生まれ変わるのだろうか」という疑問が拭えない。が、この問題はひとまずわきに置く。
まず「なぜ数が多すぎるのか」を考えたい。
結論から述べれば、それは旧大蔵省の政策ミスによるものであった。
転機は1985年のプラザ合意であった。これ以降の円高進行で、製造業が生産拠点を海外シフトする傾向が強まり、事業資金の需要に陰りが見え始めた。そうした中、旧大蔵省は1989年、相互銀行のほとんどを普通銀行に一斉転換する「普銀転換」を実行した。事業資金の需要が減り始めるにも関わらず、銀行の数を一気に増やしたのだ。当時を知る金融庁OBは、「3分の2の相互銀行が普銀転換を望んだ」と語るが、製造業が生産拠点を海外シフトしている状況を鑑みれば、果たしてどうだったのだろう。
▽戦後金融は「人口増加社会を前提」として始まった
そもそも戦後金融は、人口増加と復興・高度経済成長を支える資金供給力を担うものとして始まった。
1951年の信用金庫法、相互銀行法で、信用組合から信用金庫、無尽会社から相互銀行をそれぞれつくりだしたのは、戦後の旺盛な資金需要に応えるための対応であった。53年の信用保証協会法も人口増加社会における資金需要拡大を前提としていた。不動産担保だけでは、とても資金需要には融資が追い付かなかったからこそ、信用保証を制度化したのだ。
地銀の数が増えたのに対して、2008年以降に始まったのが人口減少だった。地域における資金需要が先細るのは確実であった。
結果論ではあるが、相互銀行は地銀に転換するよりも信用金庫、信用組合のような存在に戻すべきであった。人口減少、資金需要の先細りに即した対応が必要だった。
「地域金融機関が多すぎる」ことが地域金融力を発揮させられなかった原因とするならば、金融庁は、前身である大蔵省が行った政策ミスのツケを支払わされているということになる。
そして数を減らし、地域金融機関が再編・統合で経営体力を具備したとしても、「それだけで地域金融力が発揮される」と考えるのは、無理がある。経営体力は必要条件であり、十分条件ではないからだ。
金融庁が策定を目指す地域金融強化力プランは、地域の中小企業が直面していく経営、事業再生、生産性、技術習得・人材基盤などに対して、経営体力のある各地域金融機関がどう対処していくべきかの核心となることを期待したい。
▽金融検査マニュアル
地域金融力が強化されなかった原因として、決して忘れてはならないのが、金融検査マニュアルの存在だ。
検査マニュアルは別のコラムで詳述したいが、結果として地域金融機関に担保・保証に依存した取引を助長させ、企業の事業性・将来性を見極めたリスクマネーの提供を失わせたことは、紛れもない事実だ。
すべての事業者・企業は債務者区分で格付けされた。破綻懸念先にでも分類されれば、追加融資などありえない事実上の取引停止(日本版金融排除)の対象とみなされた。まともに付き合う相手ではないと判断された。どのような事業性があろうと、だ。これは世界的にも異常な融資管理のルールである。
検査マニュアルが策定された1999年当時、底知れない不良債権を処理するには、地域金融機関には不動産担保や保証付きの融資に誘導することで貸出先の事業リスクから距離を置かせるしかなかった。
しかし、平時に戻っても、貸し手である金融機関が、借り手である企業の事業リスクから距離を置き続けるというのは、本来おかしな話だ。
それでは金融機関にとって、担保・保証付き融資の実行が「ゴール」ということになってしまう。企業にとっては、融資を受けてからが事業の「スタート」であるというのに。
「晴れの日に傘を差し出し、雨になったら傘を取り上げる」と揶揄されるのは、事業リスクから距離を置くように監督された地域金融機関の当然の帰結であった。地域金融機関と中小企業はスタートとゴールが異なる「すれ違う関係性」であり、「交渉相手」ではあっても「相談相手」なりえるはずがなかった。
このようなことでは、地域金融機関において、貸出先の事業性を見極める力が衰えるのは避けられない。企業支援どころではない。
ましてや、土日祝日でさえも貸出金利が発生するストックビジネスが、金融機関の特徴である。健全な貸出債権さえ積み上げれば、短期金利で資金を調達し、長期金利で貸し出すことで得られる利ザヤ(長短金利差)で、必ずもうかるビジネスなのだ。金融機関職員に採算感覚が薄いのはこのためである。
▽地域金融力を発揮できない地域金融機関こそ再編すべき
物事は両面、裏側からも考えることが肝要である。発想の転換だ。
「地域金融機関を再編・統合させ、ねん出した経営体力をもって、地域金融力の発揮を促す」のではなく、「地域金融力を発揮できない経営力ない地域金融機関を再編・統合させる」と発想を変えるのは、どうだろうか。
再編・統合に交付金という形で国民の税金を投入するのであれば、なおさらだ。