◎次代の経営者は、事業をどう「継ぐ」のか(後編)~「高付加価値の雪駄を世界に」―サカガワの場合

 今回も奈良中央信用金庫地域産業創生部中嶋亮太課長の紹介で、取材した中小企業を取り上げる。
 奈良、鼻緒・履物の町・三郷町は、最盛期には和履き、草履の8割を生産した歴史がある。この三郷町の一次問屋として1957年に創業したサカガワは、伝統商材である雪駄の価値を現代的に再解釈した高付加価値のブランディングに挑んでいる。
 前回の老舗酢蔵ミヅホの大西佑亮氏と同様に、新領域の事業展開を進めながら事業承継も見据える三代目の阪川貴俊専務に話を聞いた。

 時代の変化に対応するため、中小企業の経営者はどのように事業を受け継ぐのか。 

◎次代の経営者は、事業をどう「継ぐ」のか(後編)~「高付加価値の雪駄を世界に」―サカガワの場合

 今回も奈良中央信用金庫地域産業創生部中嶋亮太課長の紹介で、取材した中小企業を取り上げる。

 奈良、鼻緒・履物の町・三郷町は、最盛期には和履き、草履の8割を生産した歴史がある。この三郷町の一次問屋として1957年に創業したサカガワは、伝統商材である雪駄の価値を現代的に再解釈した高付加価値のブランディングに挑んでいる。

 前回の老舗酢蔵ミヅホの大西佑亮氏と同様に、新領域の事業展開を進めながら事業承継も見据える三代目の阪川貴俊専務に話を聞いた。

▽自社ブランド「大和工房(YAMATOKOBO)」

 雪駄が生まれた逸話は千利休まで遡る。

 一説には、草履では水がしみることから、利休の発案で草履の裏に革を貼り、かかとに鋲を打って防水・防寒・補強を施したのが始まりとされる。草履の高付加価値化で生まれたのが雪駄というわけだ。

 サカガワ二代目の阪川隆信社長は、1992年に法人化。2013年頃に中国製品に対抗するため、自社ブランド「大和工房(YAMATOKOBO)」を立ち上げ、雪駄のブランド化に取り組んできた。

 元々、雪駄は親指と人差し指の間に挟む鼻緒が中央にあり、左右の区別はない。生産効率の良さと、左右の履き替えで長持ちさせる使い勝手もあった。

 ただ、中央に鼻緒があると小指が雪駄からはみ出しやすく、安心して履けないというデメリットもあった。大和工房は鼻緒の位置を中央から左右にずらすことで、「右足用・左足用」とし、足の指が雪駄に収まる形状としている。天然コルク、ソフトウレタン、スニーカーソールと同素材などを使い、現代人の用途や感覚に受け入れられやすい反発性、クッション性、反り返りなどの工夫を凝らしている。

▽5年の米国留学と就職

 貴俊氏は、幼少期より祖父から「お前が継ぐんだ」と帝王学のように叩き込まれて育った。

 米国のカルチャーに憧れ、「高校時代の英語力は追試レベル」だったが18歳で渡米。日本人が経営する居酒屋で板前などをしながら生活し、ラスベガスの大学で経営学を専攻した。5年間の留学で英語は堪能だ。

 父隆信氏からは、「一度、サラリーマンをやれ」と言われていたことから、帰国して就職活動を試みるも「就職氷河期」で苦戦。東証2部(当時)上場の家電用ワイヤーハーネス大手に就職した。海外展開をしており、成長性ある会社だった。

 チェコに赴任していた先輩社員から、エクセルの使い方などビジネスの基礎を「手取り足取り」(貴俊氏)叩き込まれたという。

 売上比率の高い取引先も任されるようになり、上層部からも直接説明を求められる立場となった。

 自身でも「海外の赴任は間近」と考える充実した日々を過ごしていた。

▽「ちょっと疲れた」と父のメール

 2015年頃のある日、中国出張などで多忙を極めていた父から「ちょっと疲れてきたな」というメールを受け取った。父が弱音を吐くことなどなかった。

 「自分が戻って支えないといけない」―。貴俊氏は稲妻のような衝撃を覚え、その瞬間、家業に戻る決意を固めた。

 当時、交際していた恋人(現在の妻)に家業を継ぐ決意を伝えてプロポーズした。妻の実家も自営業であったことから、事業承継に対しての理解を得られた。

 続いて両親へ結婚の報告を兼ねて、「会社に入らせてほしい」と頭を下げた。これが貴俊氏の「戻り方」だった。

 母は喜んでくれたが、隆信氏は、しばらく考えてから、「賛成も反対もしない」とだけ言った。それだけ履物メーカーの家業を継ぐことは厳しいという思いの表れであった。

 祖父には、父と一緒に報告に行った。

 創業者だけあって豪放磊落である。かつて留学から帰り、就職を報告したところ、「裏切り者!」と激しく叱られたが、家業を継ぐ決意を伝えると一転、「よし、分かった!」と、素直に喜んでくれた。

▽高付加価値ブランドを目指す

 父隆信社長が切り拓いた自社ブランドを貴俊氏は高付加価値ブランドとして磨き、国内外の高級ホテル・旅館に販路を広げるべく動いた。

 神戸牛の端材革を使った雪駄は、南仏、モナコの空や海を思わせる鮮やかなブルー、ワインと橙色のストライプのラインナップで3万3千円だ。海外でも人気を博している。

 宇治抹茶染め、奈良の墨染めなど、日本の伝統的素材を活かした新商品の開発を進めた。

 ただ、高付加価値路線への改革は、一筋縄ではいかなかった。

 昔気質で数を追わない高齢の職人たちに対し、貴俊氏は自ら足を運んで協力を仰いだ。

 同世代の職人と目線を合わせることで、新しい挑戦や生産体制を構築してきた。職人との関係もアップデートしなければ双方生き残れない。   

▽英語力と営業力

 貴俊氏の武器は通訳不要の語学力だけではない。海外へ単身乗り込む物怖じしない営業力だ。

 奈良の人脈を頼りに、フランスで開催される超高級ホテルの支配人たちが集まる商談会に乗り込んだり、会場に入れずとも近隣で食事に誘いだして直接商談を仕掛ける。

 大手アパレルも巻き込むコラボレーションにも挑戦している。

著名人、メディアでも取り上げられるようになった。高市早苗首相も首相就任前にサカガワのサンダルを愛用しているとXで投稿。モナコ公国のイベントにもサカガワは出展し、会場に訪れたアルベール2世大公に特注の和履きを進呈した。

 テレビ番組でもアイドルグループSnow ManがBTSのメンバーにスニーカー雪駄をプレゼントするという企画で取り上げられ、話題を呼んだ。

▽「オヤジと仲良くしているようじゃダメだ」

 妻の父(義父)に挨拶へ行った際の出来事が貴俊氏に強い印象を残している。

 父との関係を聞かれ、貴俊氏は仲良くやっているという話をしたところ、「オヤジと仲良くしているようじゃダメだな」と唐突に言われたことだ。

 (いきなり何を言うんだ)

 当初はそう感じたが、次第に言葉の意味を深く考えるようになった。

 経営者として、時代の価値観の目まぐるしい変化についていくのは大変なことである。なまじ、「過去の成功体験」があるほど、変えることが難しくなる。変化に抵抗感を抱く幹部がいてもおかしくない。

 隆信社長は、確かに「大和工房」というブランドを切り拓いた。これも大きな挑戦であったが、貴俊氏が父の敷いたレールをただ進むだけでは、次の時代の変化に乗り遅れるかもしれない。

 義父の指摘は、経営者として「先代との決別」をいとわない覚悟を問うものだったと貴俊氏は考えるようになった。

 中小企業では珍しくない親子喧嘩は、事業承継において「あるべき新陳代謝」とも捉えることができる。ついていけない古参幹部が身を引くことも含めて、だ。

 大切なことは父と喧嘩をするという表面的なことではない。経営者として過去を否定できる覚悟を持てるか、だ。耳障りな忠告や指摘は確かに不快である。だが、それを受け止め、進む器量が次代の経営者には試されている。

著者について

編集長:橋本卓典

1975年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2006年共同通信社入社。経済部記者として流通、証券、大手銀行、金融庁を担当。2009年から2年間、広島支局にも勤務。2020年編集委員。2025年8月から経済ジャーナリストとして独立。2016年5月に「捨てられる銀行」(講談社現代新書)を上梓、累計35万部のベストセラーになる。NIKKEI FINANCIALにも寄稿。まぐまぐメルマガ「橋本卓典の『現場をゆく』経済・金融ジャーナル」連載中。ラジオNIKKEI「記事にできない金融ウラ話~橋本卓典が語ります」でパーソナリティも務める。地域の変革、生産性向上に向けた活動を支援、協業くださるスポンサーも募集。takunori.hashimoto@sokyudo.com

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