◎次代の経営者は、事業をどう「継ぐ」のか(前編)~吉野杉の木桶が醸す極上の酢をつなぐミヅホの場合
◎次代の経営者は、事業をどう「継ぐ」のか(前編)~吉野杉の木桶が醸す極上の酢をつなぐミヅホの場合
奈良中央信用金庫地域産業創生部中嶋亮太課長の紹介で、奈良県の2つの中小企業を取材する機会があった。
1社目は、ノンアルコール枠のビネガードリンクという新ジャンルで既存の純米酢商品とは異なるお酢の可能性を広げようと挑戦する老舗酢蔵ミヅホの大西佑亮取締役、2社目は奈良県が主要産地である伝統的な雪駄の価値を現代的に再解釈して、高付加価値のブランディングを目指すサカガワの阪川貴俊専務だ。
いずれも次期社長の2人に話を聞いたが、付加価値路線というビジネスを構築しながら、じわじわと事業承継を進めているリアルを目の当たりにし、あることに気づいた。
それは、中小企業の事業承継では恒例の「親子問題」である。
次期経営者が祖父とは仲が良いのに、父とは衝突し、反目しているケースは珍しくない。この意味を考えさせられる取材だった。
もしかすると、親子の衝突は意外にも、「企業が生き延びていくために必要な新陳代謝、化学反応」であり、実は進化なのではないだろうか、と。
今回の前編は、ミヅホの大西氏の取材リポートを紹介する。
- 2026年7月14日
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◎次代の経営者は、事業をどう「継ぐ」のか(前編)~吉野杉の木桶が醸す極上の酢をつなぐミヅホの場合
奈良中央信用金庫地域産業創生部中嶋亮太課長の紹介で、奈良県の2つの中小企業を取材する機会があった。
1社目は、ノンアルコール枠のビネガードリンクという新ジャンルで既存の純米酢商品とは異なるお酢の可能性を広げようと挑戦する老舗酢蔵ミヅホの大西佑亮取締役、2社目は奈良県が主要産地である伝統的な雪駄の価値を現代的に再解釈して、高付加価値のブランディングを目指すサカガワの阪川貴俊専務だ。
いずれも次期社長の2人に話を聞いたが、付加価値路線というビジネスを構築しながら、じわじわと事業承継を進めているリアルを目の当たりにし、あることに気づいた。
それは、中小企業の事業承継では恒例の「親子問題」である。
次期経営者が祖父とは仲が良いのに、父とは衝突し、反目しているケースは珍しくない。この意味を考えさせられる取材だった。
もしかすると、親子の衝突は意外にも、「企業が生き延びていくために必要な新陳代謝、化学反応」であり、実は進化なのではないだろうか、と。
今回の前編は、ミヅホの大西氏の取材リポートを紹介する。
▽登録有形文化財の老舗酢蔵
1894年(明治27年)創業のミヅホは、室町時代から続く豪農の大西家が1658年(万治元年)に酢造りを始めた起源がある。明治時代に県から許可を得て、瑞穂酢製造として事業を始めた。
瑞穂酢は、コク深い旨味を引き出すために米は敢えて磨かない。蒸した国産米に麹菌を加え、でんぷんを糖化させる。酵母を加えてアルコールに変換したところで、吉野杉を使った巨大な木桶に移し、酢酸菌を加える。酢酸菌がアルコールを食べ、ゆっくりとお酢に変わっていく。
保有する山林で100年かけて育てた吉野杉を贅沢に使った大木桶(30石=約5400リットル)は、ミヅホの蔵に約80個も置かれている。年輪の目が詰まった、節のないサーモンピンク色の吉野杉を木桶に加工するのは、巨大木桶をつくることができる「最後の大桶職人」と呼ばれた、株式会社ウッドワークの上芝雄史氏だ。
ホーロータンク一択に酒、酢、味噌づくりの製造現場が変わってしまうのかもしれないのが現実だ。日本のクラフト文化の継承としても考えねばならないところだろう。ホーロータンクは耐久性や清掃、温度コントロールなどの点で優れている。
他方、木桶に生息する野生の菌は、蔵(クラフト)ごとの味を引き出すには不可欠な存在だ。ホーロータンクと木桶をバランスよく残すことはできないだろうか。
残念ながら「稼げない仕事」は承継されない。木桶製造を「稼げる仕事」とできるかどうかにも未来がかかっている。
約80個の巨大な木桶が蔵の奥までずらりと並ぶ様は壮観の一言であった。
▽17代目の覚悟
17代目の大西佑亮氏は「普通の学生時代を過ごしてきた」という。大学はお酢づくりに活きると思い「有機化学」を専攻していた。
ところが、父から「会社をたたむ」と言われた。実直な父が簡単に前言撤回しないことは分かっていた。
そこで、自身が自動車好きであったこと、化学の知識をいかせる仕事でもあったことから曙ブレーキ工業に入社した。
開発のエンジニアとして働いていたが、米国事業の不振で巨額の債務超過に陥り2019年から事業再生ADRによる経営再建を迫られたことから、経営企画に移り、会社をどう立て直すのかという経験を積んだ。これが新商品の開発に活きることになる。
転機は、2023年に幼少期から親しんできた瑞穂酢蔵が国の登録有形文化財となったことだった。
母から「整理していたらこんなのが出てきたよ」と家系図や資料を見せられ、「大西家の歴史を17代目の自分で終わらせていいのか」と考えるようになった。そして2024年元旦、「今年は家業に向き合う年にしよう」と心に決めた。
▽「saku」の誕生
父に「戻りたい」と言っても平行線になるだけだろう。父が認めざるをえない既成事実をつくるしかないと考えた。
文化財サウナも考えたが初期投資が高すぎる。大西氏が辿り着いた答えは、成功確率の高い「高付加価値のノンアルお酢ドリンク」だった。
デザイン含め初期投資200万円程度で開発にこぎつけた。開発に際しては、米国の禁酒法時代に酒の代替品として親しまれたお酢ベースのドリンク「シュラブ」も参考にした。
木桶仕込みのまろやかな純米酢にフルーツやスパイスを組み合わせ、食事とのペアリングで楽しめるよう、ソムリエと試行錯誤を繰り返し、「saku」を開発した。sake(酒)からsu(酢)になり、そしてさらにsakuへ、という命名の由来がある。
2024年6月の(一社)ベンチャー型事業承継のピッチイベント「アトツギブートキャンプ」に応募したところ、最優秀賞を受賞した。
「優勝したので商品化しなくてはいけない」という口実で、大西氏は勝手にミヅホに戻ってきた。
▽引く力
大西氏は、人につながり、事業を前に進めていく「引く力」が強い。貴重な経営者の資質である。
イベントや講座などに積極的に顔を出していたところ、京都信用金庫の複合施設「QUESTION」で中川政七商店の元デザイナーと知り合った。
中川政七商店のブランディング講座でMVPを取り、sakuが中川のギフト箱にたまたまぴったりだったことから、全国直営店で販売されることが決まったのだという。
超高級ホテルでの採用も「引く力」あっての成果だ。
奈良中央信金の支店長から「変なやつ連れてきますよ」と紹介されたのが中嶋課長だった。その奈良中央信金から「こんなのありますよ」と、たまたまもらったチラシのイベントに申し込んだところ、全国グランプリを獲得。たまたま審査員席にいたホテル関係者との縁から、採用につながったという。
大西氏は現在、補助金事業を活用しながら、史上最速でミシュラン一つ星を獲得したmaergeの紫田秀之シェフと連携し、短編映画の撮影を計画している。
シェフが、酢造りの現場、吉野杉の木桶から得たインスピレーションで一皿のコース料理に昇華させていくような内容を予定しているという。大西氏が出会った人脈のサポートを得ながら、国際映画祭への出品も見据えているという。
7月21日にオープンするイタリアンのエシカルレストランのシェフと連携し、酢蔵の見学からイタリアンレストランで食事をするという新たな体験型観光の動線も思い描いている。
▽新事業で「継ぐ」
唯一無二の木桶を持つミヅホは、時間をかけて丁寧に酢造りをしてきたが、食品スーパーに安価で卸す商売を続けてきた。これでは、厳しい経営が目に見えている。父が「事業をたたむ」と言ったのも、息子に悲惨な思いをさせないためであったはずだ。
ただ、17代目が「勝手に」進めてきたsakuなどの新事業が軌道に乗り始めたことから、ようやくミヅホの収支はトントンになる見通しが立ってきたという。
sakuの製造は現在、外部委託しているが、売上構成比で3割まで拡大したら、補助金も使って内製化に切り替える、と投資回収計画も頭に入っている。大西氏が曙ブレーキ時代で学んだ経験が活きている。
大西親子は微妙な距離感で生きている。「未だに父は、sakuを飲んでいないかもしれません」と、佑亮氏は話す。
中小企業は「生きもの」である。当然、事業承継のあり方は、その家、その親子の距離感、関係性を映し鏡となる。
生命体の細胞が生まれ変わるように、次代の経営者が新事業を立ち上げ、親がそれを黙認しながら会社をじわじわと継いでいくという形もあるのだと、今回の取材で知った。